ホーチミン市に伝わる統一直後のハノイ人エピソードが酷すぎる

かつてベトナムは南北に分かれて戦争をしていましたが、
1975年に北ベトナム(ハノイ)が南ベトナム(サイゴン、現ホーチミン)を「解放」し、統一ベトナムが誕生しました。

「解放」とは

「米国の傀儡政権に支配された南ベトナムを、帝国主義と資本主義から解放する」

という意味ですが、当然これは北ベトナムの一方的な見方であり、南ベトナムの人たちは解放されたという思いは微塵もありません。

南ベトナム、とりわけサイゴンの人たちはむしろ資本主義の自由な生活を謳歌していました。

そこへ北の政府が社会主義思想を掲げてやって来て、自由と資産を奪いとったのです。

サイゴン人は未だにその恨みを忘れていません。

今日はそんなサイゴン人に伝わるベトナム統一直後のエピソードを紹介します。

エピソードを教えてくれた人

今回のエピソードを教えてくれたのは、ホーチミン市生まれホーチミン市育ちの20代女性Mさんです。

大学卒業までホーチミン市のど真ん中、1区に住んでいたというので、生粋のサイゴンっ子と言ってよいでしょう。

彼女の父親はベトナム戦争中は南ベトナムの軍人で、米軍の指揮下で活動していたそうです。

彼が娘であるMさんに何度も聞かせてきたのが、今回紹介するエピソードです。

レコードを知らないハノイ人

1975年、北の政府が南を征服し、サイゴン人の住居を収奪しハノイ人が住み始めた。

資本主義体制の下で経済発展していたサイゴンでは音楽レコードが珍しくなかったが、貧しく未開で非文明的なハノイから来た人々にとっては見たことも聞いたこともないモノだった。

ハノイ人たちは、サイゴン人が残した円盤上のモノの用途を考えた挙げ句、食べ物の盛り付けに使うことにした。

音楽レコードを大きめのお皿だと思ったのである。

噴水に感動するハノイ人

独立宮殿(現在は統一会堂)を訪れたハノイ人はたちすくんでいた。

庭に設置された、水が噴出される装置に驚き感動していたのである。

素朴でシンプルなハノイでは噴水というものは存在せず、生まれて初めて見る不思議で美しい光景に心打たれ、いつまでもいつまでもそれを眺めていた。

水洗トイレを知らないハノイ人 その1

先進的で進歩的なサイゴンでは水洗トイレが既に普及していたが、質素で原始的な生活をしてきたハノイ人には未知のシステムだった。

本来の用途が便所だとは思いもよらず、「キレイな水が出てくる装置」だと思ったハノイ人は水洗トイレの水で顔を洗った。

水洗トイレを知らないハノイ人 その2

水洗トイレを清潔な場所だと思い込んでいるハノイ人は、野菜をトイレの水で洗っていた。

ある日、便器に野菜を入れておいたところ、うっかりトイレのレバーを押してしまった。

野菜は全て流され、何が起きたか理解できないハノイ人は晩のおかずが無くなったことをただただ嘆くばかりであった。

敗者の哀しさ

以上4つのエピソードをお伝えしました。

これらが歴史的事実かというと、決してそうではないでしょう。

誇張もあるでしょうし、事実無根の可能性すらあります。

私が重視するのは、これらの話を

「南ベトナムの元軍人が、自分の子供に聞かせている」

という点です。

現政府の敵であったという立場から、彼が統一後に艱苦の生活を送ったであろうことは想像に難くありません。

彼は1975年4月30日(サイゴン陥落の日)を

「人生で最も悲しく、屈辱的な日」

として記憶しているそうです。

敵国で敗残兵として生きていくことの鬱積を、娘に「愚かなハノイ人」のエピソードを聞かせることで昇華するしかなかったという事実、そこに敗者の悲哀を感じます。

▼ハノイとホーチミン市の関係はこちらの記事が詳しいです。



自己紹介

20代で死ぬほど働いて1500万円貯めてセミリタイア。

現在は少々の労働収入と投資収入でベトナムを拠点に生活しています。

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