プロフィール
ペンネーム
宮内健吾Ⓐと申します。
ペンネームの由来は、タカ大丸さんから取材を受けた際に頂いた仮名です。
「宮内健吾」だけだと被りそうなので、藤子不二雄先生からⒶを拝借しました。
関連記事→ハーバービジネスオンラインに取材記事が掲載されました。
年齢
2023年時点でアラフォーです。
小学生のころJリーグカレーが流行って、中学生のときボキャブラ天国がブームで、高校生のときはモーニング娘。全盛期でした。
配偶者
ベトナム生まれベトナム育ちで日越ハーフの内縁の妻がいます。
関連記事→僕の妻を紹介します
バックパッカー時代(2002年~2006年)
二十歳前後 (2002年~2006年)のころはバックパッカーとして各国を旅しました。
当時訪れた国・地域は以下。
ベトナム カンボジア タイ
ラオス ミャンマー インド
▼ベトナム、ホーチミン(2006年)、当時は誰もヘルメットを被っていない。
▼ラオス、バンビエン(2006年)。マリファナ村として有名だが、美しい景色が堪能できる。
▼インド、デリー(2006年)。今は少しはキレイになったんだろうか。
イスラエル エジプト
▼シリア、アレッポ(2005年)。現在は内戦で荒廃してしまった。
▼ヨルダン、ペトラ遺跡(2005年)。「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のロケ地として有名。
イギリス ブルガリア ギリシャ
ヨーロッパではカメラを盗まれ、急遽買った写ルンですで撮影したので現在手元に画像がありません。
以上、訪れたのはたった20の国と地域なので、バックパッカーとしてはショボイです。
新興国の物価の安さを実感
発展途上国を旅していく中で先進国との物価差を実感しました。
何しろ当時(2004年~2006年)は中国でさえまだまだ物価が安く、田舎のほうに行くとドミトリー10元(150円)、シングルルーム1泊20元(300円)、牛肉麺1杯2元(30円)とかでした。
▼中国・夏河にて1杯90円の羊肉麺片。羊肉たっぷりで旨かった(2006年)。
▼中国・青島の安宿。廃墟のような外見だが中はまずまず清潔だった(2006年)。
イスタンブールでの出会い
そんな時トルコ・イスタンブールのドミトリーで20代後半とおぼしき日本人青年と出会いました。
彼は
という生活を送っている人でした。
この生活スタイルは「1年間フルに働かなくても生きていける」という点で私には目からウロコでした。
会話したのはほんの30分程度でしたが、この出会いが私に大きな影響を与えたのは言うまでもありません。
会社員時代(2006年~2013年)
と思った頃がちょうど就職氷河期が終わり売り手市場に転じた時期で、割と簡単に就職できました。
その数年後には世界金融危機の影響で、再び求人が大幅に減っています。
あと何年かどちらかにずれていたら、正社員としての就職は厳しかったかもしれません。ラッキーでした。
この7年間は海外旅行もほとんどせず節約に努め(7年間で行った外国はベトナムと台湾だけ)、資産1500万円に到達したところで退職しました。
「1500万円」を目標にしていたわけではなく、「アラサーになったしそろそろ辞めるか」という判断です。
私の貯蓄術はコチラ→年収普通の私が20代で1000万円貯金した方法
セミリタイア生活初期(2014年~2019年)
2014年、29歳で念願のセミリタイア生活を開始しました。
「1年のうち数ヶ月は日本で働き、残りはベトナムで暮らしつつ、時々旅する」という生活スタイルです。
当初は年間収入が200万円ほどありました。
利子:55万円~65万円
販売:25万円~35万円
関連記事→セミリタイアおじさんが日本出稼ぎ1ヶ月で45万円稼いだ方法
ベトナムドン預金で毎年60万円前後の利息収入があったのは嬉しい誤算でした。
「ベトナムドン預金は有用な投資手段」という事実は日本にいたときは想像もしませんでした。
ベトナムの定期預金の実質利回りを計算してみた記事はこちら→10年前にベトナムの銀行に100万円預金していたら、現在日本円でいくらになっていたか
各国を旅する
時間は有り余っているので、セミリタイア後もバックパッカー的な旅をしました。と言っても根っからの旅好きではないので、訪問国数は控えめです。
フィリピン マレーシア イラン
ベトナム カンボジア ミャンマー
この中ではバリ島とイランがオススメです。
バリ島はパリピ的な繁華街から癒し系大自然から穏やかなリゾートまでなんでも揃っています。
イランは一般的イメージと正反対で治安良好で人々は親切、なおかつ見所多数な優良観光国です。
順調に資産を増やす
セミリタイア最初の6年間は毎年100万円近く貯金できていました。
詳しくはこちら→セミリタイアから5年で資産1500万円を2000万円にした方法
2019年末の時点で資産は2182万円にまで増え、年平均増加率は6.45%という新興国並の高成長を遂げました。
年間数ヶ月働いて簡単な投資をするだけで資産が増えていったので、人生に何の不満もありませんでした。
コロナで仕事を失う
しかしそんな悠々生活も終止符が打たれました。
2019年央にベトナムで銀行に関する規制が変更され観光ビザでは定期預金できなくなったため、60万~70万円の利息収入を失いました。
さらにコロナ禍により日本での労働も消滅し、給与収入も無くなってしまいました。
定期預金終了で浮いた資金でベトナムにマンションを購入したのでとりあえず住居には困りませんが、収入源が絶たれたのはつらいところです。
関連記事→ホーチミン市で私が買ったコンドミニアムを紹介します
2022年、2年半ぶりに帰国
2022年、ようやく渡航制限が緩和されてきたので、2年半ぶりに帰国し、ついでにリゾートバイトしてきました。
詳しくはこちら→アラフォーのセミリタイア民がリゾートバイトした結果
資産額推移
前述の通り、2020年以降はほとんど仕事できませんでした。
しかし米国株・ベトナム株上昇により資産は増え、2022年には一時2900万円にまで到達しました。
資産運用について詳しくはコチラ
PLiCy ゲームコンテスト2022敢闘賞
自作ゲームがPLiCy ゲームコンテスト2022の敢闘賞に選ばれました。
詳しくはコチラ→PLICYゲームコンテスト2022で敢闘賞をいただきました
2023年ベトナム撤退
2023年2月〜5月、夫婦でベトナムを発って世界旅行しました。
6月からは夫婦で日本に住んでいます。
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